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チャン・オータのご紹介

現在、THE天国畑JAPONのドラマー。 その他様々なバンド、アーティストのサポートドラマーとしても活動。


1983年
日本の東京都小金井市桜町病院にて、3020gの元気な毛むくじゃらな男の子で産まれる。

1988年
父の転勤の関係で名古屋市は天白区八事へお引越し。

1990年
たまの『さよなら人類』を聞いて、初めてCDを買ってほしいと親にねだる。
ウッチャンナンチャンの『やるならやらねば』でCHAGE&ASKAのパロディーコントをきっかけに、CHAGE&ASKAにハマる。

1991年
X(X JAPAN)をTVで観て以来ドラム(YOSHIKI)とヴォーカル(TOSHI)にくぎ付け。
ちょうどその頃母親がスネアドラムを一日だけ自宅に持ち帰る。
そこで”ちょっと”叩いてみたら「ドラムってでら面白ぇ」と思うようになる。

1992年
小学4年生になると同時にドラムを始める。
学校から帰宅後は、すぐに家の練習用のサイレントドラムをとにかくぶっ叩くという日々が続く。下の階にお住まいのNさんに迷惑をかける(…が、Nさんがとても良い方だったので、好き放題やる毎日だった)

1993年
大好きだった名古屋から、東京都小金井市へ戻る。(戻ったと同時に、名古屋に行く前にバレンタインのチョコをくれた同じ幼稚園出身の子が同じ小学校にいることを知り、勝手に運命を感じ約2年間の片想いをするが、卒業式前日に文面にて振られる。この時のことがあり、運命など存在せぬと悟る)
同じCHAGE&ASKA好きの歌ウマな三好氏と共に、部屋でCHAGE&ASKAを聞いて大声で歌ってはマリオカートをする日々が続く。この時にハモることの楽しさを知る。

1994年
その後小学6年生の頃に聴いたDEEP PURPLEのIan PaiceとLED ZEPPELINのJohn Bonham、あと初めて日本武道館にBilly Joelを見に行った時のドラマーLiberty Devittoに衝撃を受ける。(そこで「ワンバスプロドラマーに俺はなる」と言ったかどうかは定かではないが、現在もワンバス派。)

1995年
中学になって吹奏楽部に入部。(バスケ部に入ろうとして女の子にモテようと思ったが、嫌いな先輩がいたため断念。)
ここで敢えて、今まで経験したことのない楽器、トランペットを選択。

1998年
高校になってハンドボール部に入部。(かっこいい先輩がたくさんいるハンド部に入ったらモテると思ったが、大きな間違いだったことに気づくのは約2年後)
同時期に、高校時代の友人の友人たちのバンドにドラマーとして加入。この時にSCARECROWの片山君と出会う。

1999年
SCARECROWの大賀君と出会う。ガスト(現しゃぶ葉)で会う。

2001年以降
SCARECROWに正式加入。ドラマーとして、ひたすらライブを行う。
傍ら一本刃のドラマーとしても活動。

2012年
​3月、SCARECROW解散。それ以降、計7バンドをかけ持つ。

2013年
THE 天国畑 JAPONに加入し現在に至る。
それとほぼ同時に、それまで趣味程度にライブをしていた、ものまねミュージシャンとしても活動も本格活動開始。

2015年
​新宿のものまねショーレストランそっくり館キサラのオーディションに受かってからは、キサラをはじめ、ものまねのショーパブにも出演するようになる。

様々な50~70年代のレジェンドドラマー達に変わらぬ憧れを抱く反面、現在では新旧どんな時代のどんな音楽もカジってみる雑食ドラマー。
「音楽ジャンルは美味いか不味い」
をモットーに、日本全国及び台湾、中国、香港、韓国などのアジア諸国のライブハウス、クラブ、ホール、野外フェス、カフェ、バーなどにて精力的に活動中。
加えてドラム講師として、小学1年生~70代の大先輩方の幅広い年齢層の生徒へドラムの楽しさを伝えている。


一方、アコースティックギターとパーカッションを両手両足で駆使し、黒グラサンをつけたり外したりしてモノマネしながら歌う、ものまねミュージシャン。
幼少の頃より誰かの…または何かのモノマネをしていて、学校でもモノマネのおかげで人気者…とまではいかないが、好きな人には好かれる。
ある日武蔵境STATTOの店長(当時)まんぶさんより、「オータちゃんギター弾けるよね?歌えるよね?」と言われ、それまでドラマーとしてしか立って(座って)いなかったSTATTOのステージにて初ギター弾き語りを経験。
ただ、その時にモノマネ無しで人の曲を歌うことに照れくささを覚え、半分ふざけてモノマネで唄うコーナーを設ける。
ある日、声を嗄らしたまま弾き語りをする羽目になり、半ばやけくそで全編長渕剛のモノマネで激唱。意外にウケる。
その時、当時のバンドメンバーの大賀(SCARECROW)から、「長渕剛だけじゃなくて、いろんな人のモノマネができるんだから、それでやった方がいいよ」とアドバイスを受け、全編モノマネにすることになり、現在の弾き語りモノマネスタイルになる。
「命あってのモノダネ。笑いあってのモノマネ」
をモットーに、これまた国内外ライブハウス、クラブ、カフェ、野外フェス、ディナーショー会場や結婚式披露宴会場などのイベント会場、新宿そっくり館キサラなどのモノマネショーレストランにて精力的に活動中。
※レパートリー : ToshI(X JAPAN)・井上陽水・美輪明宏などの"著名人"のマネ/日本人・中国人・韓国人・フランス人・イタリア人の"誰か"のマネ)

ちなみに、日本全国野外フェスなどでは、司会としてもたまに活動。 モノマネをまじえながら司会をするが、実際は周りの優しさに助けられていることが多く、純粋なる司会者としての能力にはいささか疑問が残る。

とにかくその活動は多岐にわたる。
多岐にわたるが故にたまに 「チャンは何になりたいの?」 と聞かれている。

五児の父。
​一児の祖父。

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